伝統空手①

伝統空手

今から、何十年も前の話になる。自分は一時期、ある伝統派の空手道場で稽古をしていたことがあった。詳しい方なら、ご存じと思うが、空手には和道流、剛柔流、糸東流、松涛館の四大流派があり、自分が学んでいたのは松涛館の空手であった。入門したきっかけは、「強くなりたい!」の一念である。そしてまたその当時、空手ブームを巻き起こすような映画が放映された。ブルース・リー主演の「燃えよ、ドラゴン」だ。あれは空手ではなく、ブルース・リー自身が編み出したジークンドーという武術であり、その源流は彼が学んできた中国武術にあったのだが、当時は誰もそんなことを知らなかったから、今までの映画の乱闘シーンとは一味もふた足も違う、電光石火の攻撃技に魅了されたのである。そこで早速、電話帳で調べたところ、自転車で三十分ぐらいの場所に空手の道場があることを知った。見学に行ったら、そこでは黒帯の指導員が門下生に稽古をつけているところだったのである。

伝統空手

騎馬立ちで左右の直突きを放つその切れ味には驚かされた。自分が中学校を卒業したばかりの話である。パンチと言えば、テレビで観るボクシングしか知らなかったところに、それとは違う突きの速さに感動すら覚えた。その場で入門を決意したのは言うまでもない。
以来、稽古に夢中になった。「強くなりたい」の一心で、誰よりも稽古に励んだ。当時の昇級審査は移動突きと蹴り、型の審査が行われ、帯は黄色から緑、一級になれば茶帯、初段から黒帯だったのだが、目標は帯の色よりも強くなることだったから、それなりの努力の甲斐あって、確か半年程度で黄色帯になった。この道場の稽古は初めに基本の左右の突きと蹴りの打撃技と受け技を騎馬立ちでやる。その後は移動稽古である。次に相手を変えながらの約束一本組手(攻撃側が順突きを放ち、受け側は上段・中段受け)を行う。これで稽古時間は約二時間。若いし、体力もついてきていたから、それだけでは物足りず、親しくなった先輩と約束一本組手をやったり、道場にある巻き藁を突いたりもしていた。

空手と言えば、巻き藁突きである。初めの頃は拳の皮が破れて血だらけになった。それを師範代に言ったところ、「突いて突いて、突きまくれば皮が硬くなって、拳ダコができるようになる」とアッサリ言われた。その先輩の拳は拳ダコが大きく盛り上がり、まさに凶器のように見えたものだ。以来、道場の巻き藁突きでは飽き足らず、自宅の庭に苦労しながら角材を立て、その上側に縄の藁を巻いた。「これで、俺も空手家の仲間入りだ」と自己満足にしたったものである。以来、これを朝晩、何百回も叩いた。それを続けていくうちに、血だらけになった拳にもタコが盛り上がってきた。もう、いくら叩いても痛くない。自分の拳骨は先輩の拳と同じように空手家のそれになった。
審査も順調に昇級し、緑帯から茶帯になった。この頃は拳が頑丈になっただけでなく、空手の打撃技のいくつかも得意になった。右の逆突き、前蹴り、横蹴りである。約束一本組手でも、先輩を凌ぐ程にもなった。技にそれなりの自信もついてきたのだが、自分の中にはいつも疑問がたまっていた。その道場では今でいう実攻防、つまり、自由組手がほんど行われなかったのだ。それよりも型重視の流派だったのである。たまに、有段者の先輩が自由組手をやっても、当てることはしない。「これで強くなれるのだろうか」という疑惑がいつも心の中にたまっていた。

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そんなある日のこと。茶帯昇級審査の前に師範から「おまえもそろそろ、自由組手をやってみるか」と声をかけられた。相手は同じ緑帯の門下生である。待ちに待った組手である。「始め!」の声と同時に猛烈な攻撃を仕掛けた。日頃、稽古してきた技もへったくれもない。避けようとする相手をつかまえて、何発も膝蹴りを浴びせた。そこで師範から止められたのである。「そんなのが空手か!」と怒鳴られもした。言われるとおりである。突きも蹴りもない。相手の攻撃に対する上段・中段受けもない。ただ、単にやみくもに攻撃しただけだから。組手はそこで中断された。そして、釈然としない思いで道場の隅に正座させられた時である。ある茶帯の先輩と黒帯の先輩からこっそり、声をかけられたのだ。
「なかなか、やるじゃないか」と。「型や基本稽古だけでは強くなれない。大切なのは攻撃する闘志だ」とも言われた。その二人の先輩も日頃の稽古に足らない思いを抱いていたのである。足らないものとは、実際の打撃戦をやる組手だ。しかし、道場ではその稽古は滅多に行われない。行われたとしても、今で言う「寸止め」で勝敗を決められてしまう。
それでは本当の強さを鍛錬することはできないというのが先輩たちの意見だった。十代の血気盛んであった当時の自分である。この声は嬉しかった。以来、一般の稽古が終了し、師範が帰ったのを見届けてから、三人で自由組手を行うようになった。とはいえ、それも顔面には当てない。顔への攻撃は寸止めで後は実際に打ち、蹴るというルールでやっていたのだ。だが、攻防が白熱してくると、ついつい、顔面に当たってしまう。
「おっと、すまんな」と言われても、「いえいえ、大丈夫です」とはならないのである。「そうくるなら」と、こちらもむきになって顔面を狙った。互いに熱くなって、顔面の殴り合いになったこともあった。唇は切れるは、鼻血は出るは、散々な有様である。白い空手着に血がついて、凄惨な有様になったこともあった。だが、しかし…ここでまた、大きな疑問がわいた。巻き藁打ちで鍛えに鍛え抜いた拳である。試割りなら、杉板三枚は逆突き一発で割れたし、瓦も七枚までなら割れた。「これが当たれば、一撃必殺!」と思っていたのに、そうはならなかったからだ。それは自分だけでなく、先輩も同じ思いだった(今、思えば、何とかわいい疑問だったことだろう)。

伝統空手

むろん、殴られてガ―ン!と後頭部に響くショックはあった。しかし、それ以上にショックだったのは、倒れることはあっても、一発KОになるほどの致命的ダメージがお互いになかったことだった。人間とは鍛えれば、鍛えるほど強くなるもので、そうは簡単に一撃の威力につながらないのだ。むろん、顎の骨が折れたり、アバラが折れることはあった。そんな負傷があると、やった方もやられた方も「自分たちの打撃はなかなかのものだ」と自己満足にしたっていたのである。だがしかし、自分たちが空手の一撃に求めていたものは、もっと破壊力のあるそれだった。なおかつ、顔面を狙って渾身の一撃を当てようとしても、そうは簡単に当たらないのである。相手は巻き藁ではなく、動く人間である。今、思い起こせば、当時の葛藤が笑えてしまうのだが、思うようにはならない自分たちの空手の打撃技術に悩まされたものだ。先輩共々、俺たちのやっていることは間違っているのだろうかという思いで帰路についたこともあった。
そんなある日のこと。ある大学の空手部の主将という者が道場に来た。その相手をしたのが、組手大好きの黒帯の先輩だったのである。「先輩なら、大学の空手部の人間ぐらい、一蹴してしまうだろう」と見ていたら、この男が強かった。遠間から、一気に直突きを放っていく。離れたら、スピードのあるシャープな前蹴りを蹴ってくる。自分たちと共に日々、自由組手を行い、一番強いと思っていた先輩はいいところ無しで、敗退した。そして、その出来事が自分たちには一層のショックにつながったのである。

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