空手道 禅道会 小沢 隆 代表の武道人生③

小沢がフルコンタクト空手に入門した当時、身長は180㎝で体重は60㎏だった。身長こそ高かったものの、他の門下生と比べて、驚いたのは、身体の違い。みんな、筋肉隆々で逞しかったそうだ

さらに、小沢が進学した東海大学は柔道やスポーツの名門。「特に柔道部の身体の屈強さには、びっくりさせられました」と語る小沢。そういう姿を見るにつれ、もっと身体を作りたいと思った。

本格的なウエイトトレーニングに取り組んだものの

その頃からウエイトを使った本格的なウエイトトレーニングを始めるようになった。トレーニングにかけた時間は週三回で、約二時間。当時、住んでいたアパートの近くにある農家の庭を借り、トレーニング機器を置いて、独自の鍛練に取り組んでいたそうだ。

それによって、徐々に体格は良くなってきたうえ、それなりに打撃力もついてきたものの、「思うような成果は出なかった」と言う。当時は筋肉の大きさでパワーは比例すると、本には書いてあった。しかし、筋肉の肥大は空手の動きである身体をねじったりするものとは直結しない。らせん状に人間の身体は動いたりするが、そういう動作はウエイトトレーニングにはほぼないので、「ある種の一面的なパワーしか身につかないんじゃないか」という疑問を抱いていたそうだ。

身体ができていくことで、それなりに充実感は感じていた。しかし、フルコンタクトの空手道場の先輩や大学のスポーツ・柔道部に身を置く人間と自分を比較すると、桁違いの筋力、パワーを有している者が多かっだ。だから、ちょっとやそっとのウエイトトレーニングだけでは、「自分の身体の貧弱さを逆に認識させられていた」と言う。

想像以上に厳しかったフルコンタクト空手道場の稽古

さて、入門したフルコンタクト空手の道場稽古である。当時の稽古はとてもハードで、その門下生の取り組みがそのものが、以前、通っていた空手道場とははるかに違っていた。劇画を読み、その影響を受けて入会する者も多かったから、「猛練習に身を置こう!」という入会者の思いも強かったのであろう。

稽古は基本・移動稽古の反復回数が多く、ほとんど休憩がない。先輩たちの稽古に取り組む姿勢の真剣さ、そしてパワー。そのうえに技の切れそのものが凄いのに小沢は驚かされた。

青帯・黄色でも将来的に名をはす人も多かったため、「なんで、こんなに強いんだ」と思うぐらい、高いレベルの門下生がそろっていたそうだ。組手そのものも激しく、道場に行く時にはかなり勇気と覚悟を持って、通っていた。それを痛感させられたのは、入門して三日目ぐらいに挑んだ組手でハイキックで顔を蹴られ、顎が折れてしまったのである。通常なら、ここで組手に対する恐怖感で辞めてしまう者が多い。しかし、小沢の心には辞めるという選択肢はなかった。顎の骨が折れて、口も少ししか開かないので、柔らかいものを食べて一生懸命、稽古をしていたと言う。「とにかく、その道場では“空手を学ぼうとする意識、武道にかける感情”が高校時代に通っていた空手道場と全然、違っていたんです。稽古が終わった後はいつも身体は負傷だらけ。痛いところだらけで、特に肩や腕を殴られて、左手が上がらくなることもありました」と小沢は当時を振り返って言う。

少年時代から抱いていた虚無感も猛稽古で消失した

小沢の話は続く。「とにかく、想像していたフルコンタクト空手より、もっと強いインパクトがありました。一時は“空手は本当に強いのか”と思っていましたが、その考えを思い直されました。初めは稽古についていくのが精いっぱいだったんです。当然ながら、辞めていく人も多く、入門しても一割も残らないぐらいでした」

それでも続けていたのは、少年時代から心の根底にあった虚無感が、空手の猛練習で忘れることができたからだ。稽古についていくので必死で昔から抱いていた心の感情を忘れることができたのだ。

そんな小沢が体力的にもついていけるようになったのは、道場に入門して一年目ぐらい。体重も15㎏ぐらい増えたから。たくさん食べて、ウエイトトレーニングもやることで体重は75~80㎏ぐらいまで増量したのである。

その成果はMAXでスクワットで220㎏、デッドリフトでは300㎏、ベンチプレスは187.5㎏まで挙げられるまでになった。体格的に向上したせいもあったろう。その頃には道場で組手をやっても、引けをとらなくなり、先輩と組手をしてKОして悦に入っていたこともあったそうだ。

そうした中で精神的にも余裕ができたものの、大学で柔道部に所属する、小沢よりさらに体格のいい者を見るにつけ、空手に対する心細さを感じていたのである。また、テレビでプロレス番組などを観ると、「自分の空手がこういう体格差のある人間に通用するのだろうか」と思いがついてまわるようになった。

空手をやっている者は80㎏から90㎏ぐらい以上あれば、超大型の体格。しかし、東海大学の柔道部には、100㎏はおろか、150㎏の選手がゴロゴロいた。ラグビーやアメフトにも走れる100㎏クラスが普通の体格だったのである。

そこで高校時代とは違う形で空手に対する視点が変わってきたのである。道場では、ボディで倒すには、角度やタイミングなど、非常に細密に学べた。相手に対するダメージの与え方、生身の人間を叩くので、技術的に大きな学習はあった。さらに、当時の大会そのものが同じ体重で戦う階級制ではなく、無差別の競技だったのである。

だが…空手家ではないが、前述したように大学の柔道部の選手やラグビーやアメフトの選手で体格が人並み以上にずば抜けていている者が大勢いたのである。この頃から小沢の中で、空手に対する絶対的な強さへの陰りを見せ始めていたのだ。

実際の喧嘩の場面を見て、わいてきた空手への疑惑

さらに、小沢の迷いは続く。それは実際の喧嘩の場面を見た時のことである。高校時代の喧嘩の違い、大学に入ってからの喧嘩は、お互いに腕に覚えのある者同士が闘争心をむき出しの喧嘩をしていたため、高校のヤンキー同士の喧嘩とは随分と様変わりしたパターンが多かったのである。大学の空手部の選手がラグビー部の選手にタックルされて、そのまま馬乗りに殴られて負けてしまったり、少林寺拳法部の有段者が柔道部員と喧嘩になって、胸ぐらをつかまれて一方的に殴られるシーンも見た。柔道の技で投げられる以前の問題で、少林寺拳法部の有段者がKОされるのを見るにつけ、空手に対する疑念は次第に強まっていく。格闘技でなく、球技であるラグビー部員や打撃技を稽古もしていない柔道部員にあろうことかパンチで打撃系の有段者が倒されてしまうのが小沢にとってはショックだったのだ。

フルコンタクトの空手をやっているとはいえ、「80㎏の体格の自分は少々、強くなったものの、ラグビーや柔道をやっている強者(つわもの)相手に、空手で対抗できるか」という思いが強くなったのである。

それだけではない。自分がウエイトトレーニングを積んでベンチプレスで100㎏を上げるのに、それをいとも簡単に上げてしまうような、もともとパワーのある人間もいた。根本的にというか、世の中には産まれ持って膂力の強い者がいるのである。いくら鍛えても「その差を埋めることはできない」と痛感させられた小沢。だから、実際の路上ファイトを見るにつけ、劇画に描かれているような「空手が最強」とは思えなくなってしまったのである。

「このままでは本当の強さは体得できない」という思いが強くなってきた小沢は大学の体育の授業でボクシングと柔道を選択していた。そのあたりからである。空手のルールの枠を超えて、実戦・護身という方向へ自分の意識が転換していったのは…。

小沢が大学に入った頃はすでに学生運動は終わっていたが、「どの格闘技や武道が強いか」という口論になり、そんなつまらない理由で小沢自身が喧嘩することもあった(今と違って、当時はそういう風潮が強かったのである)。

さらに、フルコンタクト空手の道場でも他流派の人間が入門すると、ボコボコに殴られ、蹴られるという場面もあった。前述したように、その頃は武道の流派意識が強かったうえに、それぞれがやっている格闘技の強さに対する意識も対抗心も強い時代であったのだ。

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