空手道 禅道会 小沢 隆 代表の武道人生⑧

前回の記事に書いたように、長野支部は門下生の定着、大会での輝かしい実績により、その団体では最大の支部になった。しかし、小沢の武道に対する疑問は消えることはなかった。細かい技術的な気づきはいろいろあり、門下異性の数も増え、レベルも高くなった。

もともとの小沢の指導はその空手団体の大会で勝利するより、総合の練習に近い稽古をしていた。それはアルティメット大会のグレイシー柔術が来る前からだったが、柔術で言うところのガードポジションなどの技術を試行錯誤の中で自然に取り入れて稽古をしていのである。

武道に対する心の葛藤と隔離に悩んでいた当時のこと

しかしながら、小沢にとっては武道で精神が強くなるかと言うテーマは依然として残っていた。支部の拡大以上にそのテーマの方が自身の中で高まっていったのである。だから、技術的な向上の積み重ねはあったものの、精神面での強さの向上についてはさらに悶々としていたのだ。やがて、その感情は武道との乖離を感じるようになった。小沢はその当時の苦痛を次のように語る。

「とにかく、その頃は稽古しようとすると、心と身体が引き裂かれるような思いになったんです。自分でもどうしようもないぐらいの苦痛の日々でした。そうなった時に自然に選んだのが一人稽古でした。原則的に通常の稽古ですが、心の中に乖離があればあるほど、いろいろな欲求が出てきたんですね。指導する自分にしてみれば、本来は結果を出すための稽古指導、そして相手を制するための結果や試合に勝つための結果が未来に対する欲求のはずなのに、そういう意識が鈍化していったのです。同時に心の中では武道の稽古で本当に心が強くなるか?かが自分にとって、非常に大きなテーマであるにもかかわらず、問題はなんら、解決されず、この疑問を持ち続けての稽古は苦痛と葛藤の毎日だったんです。結果的にその思いが強くなって、他のことはどうでもよくなってしまいました」

子どもたちの非行に関する相談を父母から寄せられて


photo by Roberto

結果的に、小沢の空手に対する日常がとても苦しくなった。通常では考えられない、納得のいかないことをやり続けなければならないのかという思いがこみ上げてきたのである。それは日増しに膨れ上がっていった。

話はここで前後するが、その頃、日本全体が家庭内暴力、校内暴力が社会問題化する頃でもあった。我々が子どもの頃はそんなことはありえなかった。大人は親も先生も絶対的な存在であった。しかし、それまでの社会における規範が変化をする時代になっていったのだ。葛藤が日増しに募る小沢。にもかかわらず、門下生も増え、支部が拡大していたため、専用道場を借りられるところまできていた。 「けれど、自分にとっては乖離の中で苦しい心境でした。精神が強くなるはずだった武道が自分の心の柱になっていなかったんです」。

ちょうど、その時代に家庭内暴力などの問題も社会的にあり、小沢も門下生の父母を中心に家庭内暴力の相談を受けるようになった。「道場では学校ではない」という思い。小沢のイメージは武道で道を求める概念と教育というものが一致していなかったのだ。それはあくまでも別のカテゴリーという認識だった。したがって、そのような相談を受ける時も「ここは学校ではないので、私に相談されても対応できない」と話していたと言う。

その当時、小沢は20代後半だった。相談にくる父母は小沢の親に近い年齢に近い人が多かったのである。子どもたちの非行に伴う相談・問題が多かったのだが、小沢はそれに対応ができない。父母にしてみれば、小沢を訊ねるまでは様々な場に相談にいっていたのだが解決にはならず、その挙句の小沢への最後の相談であったのだ。

家庭内暴力のある父母の駆け込み寺のようになり…

なおかつ、その当時は家庭内暴力が起きると、それに対する抵抗ができない父母に対して、「親のくせになんだ」という社会的風潮があった。それがために、父母たちは余計に孤立感に追い詰められる要因になっていたのである。“親が子どもを怖がるのはだらしがない”と言われる状況であった。そういう父母たちに小沢は「うちは学校ではないので、できる限りのことはします」と最初は相談を断っていた。

ところがだ。事態はさらに悪化する。夜中に父親が子どもに暴力をふるわれて、肩を脱臼して、片手で車を運転して逃げてきたり、母親が息子にあばらを蹴られて、這うようにして逃げてくることもあった。夜中の電話で息子が暴れているから来てくれと言われ、行ってみると、ゴルフのクラブを持って暴れていたりするケースすらあった。そのような事態が多発するようになっていく状況下、小沢はその都度、その問題に対処していた。いつしか、教育の問題点に自然に関わるようになっていった。

「積極的に係わったというほどではなかったのですが、父母が困る中で多少、関わらざるをえなかったんです。だから、家庭内暴力のある父母の駆け込み寺みたいになっていたんですね」

小沢は息子が返ってくると、「殺されるかもしれない」という父母の家庭に夜、泊りに行くことすらあった。やがて、そういう子どもたちを自分の自主トレに引っ張り出すことも次第に多くなった。そうした経緯をするにつれ、何人かの問題児をボランティアで小沢の自宅に預かるにまでになった。結果、父母からの依頼はますます強くなっていく。さらに、だ。他に自宅に泊まりに来てくれという依頼も増えてきた。非行で外出している子どもたちが金を無心して家に戻ってくる。そういう非行少年たちはふだんは、アジトのようなところにいた。「そから、子どもを連れ戻してくれ」という依頼まで出てきた。

当時は非行少年プラス家庭内暴力というのが一般的な現象だった。家では親を殴る、学校では先生を殴る、外では非行をくりかえすという問題が多発していたのである。しかしながら、そんな子どもたちでも稽古をする時は小沢に対しては総じて、「素直で純情だった」と言う。子どもたちにとっては、小沢には適わないという印象もあったのだろう。時に小沢が非行少年たちのアジトに行くと、みんな逃げ出していたそうだ。

武道に一定の教育効果があると感じはしたものの

そのようなケースが起きるにつれ、問題のある子どもたちに明らかな改善傾向がみえてきた。「武道は心の探求以外に一定の教育的効果があるんだ」と小沢は認識するようになった。

「子どもの教育に関心の強くなかった自分が初めて、武道の中における教育という分野が自分の心に結びついていったんです」

本来なら、ここで武道への存在意味や武道で心が強くなるというテーマに確信を持っていいはずである。しかしながら、小沢の心中では、前述したような武道と精神的強さの乖離は変わらない。それだけ、小沢の心に葛藤と苦悩があったのであろう。それでも稽古は続けなければならない。人間は誰しも“こうしなければならない”という気持ちが続くと、精神的な苦痛に陥るものだ。門下生の定着率もいい、支部の成長度もいい、教育成果もある程度みられた。それでも小沢にとって、埋まらない心のテーマはさらに増加していったのである。

稽古を続けてはいたものの、次第にそれが苦行に近いものへと変化していった。当時を振り返って、小沢はこんなことを言った。

「自分の中でいろいろな欲求が鈍化して、未来のことに思いを寄せる余裕もなくなったんです。その頃、いつものように朝起きてランニングをするのですが、精神的な過労もあったのか、毎朝、一歩踏み出すランニングそのものが苦痛になっていました」

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