空手道 大誠館 宮崎文洋館長の武道人生 5

経済的にも大ピンチ。一時は最悪の状況まで考えていた。

宮崎の受難の日は続く。当時を振り返って、こんな話をしてくれた。「収入の糧がなくなってしまったものだから、所有していた愛車も一台ずつ売却し、貯金から何からどんどんお金が無くなってしまいましてね。それでも意地もがあったから、桑園の道場は辞められなかったんです。でもそこの家賃が70万。次第に支払いが追い付かなくなり、最終的には自分の家も売却するまでになってしまいました」

一時は人生の絶頂期を味わっていた宮崎である。それが一気に転落するかのような事態に直面させられた。失意のどん底にまでなったのだ。こういう状況に遭遇した人間は精神的にも大きなダメージを受ける。人によっては、生きることすら捨てたいと思うことだってあるだろう。宮崎もそうだった。経済的にも危機的な状況で前向きに考えることもできなくなり、一時は何もかも捨てて、辛い現状から疾走することまで考えていたそうだ。しかし、二人の少年たちのことを考えると、それはできなかった。

「子ども空手のカリスマ」を目指そうと努力した日々

その頃の様子を宮崎はこう語ってくれた。

「当時は家も売り払って、アパートに住んでいたんです。それでも経済的に厳しくて、電気やガスが止められることもありました。正道会館を破門になってから、バタバタと落ち込むことばかり。辛い毎日でした。でも、このままではダメだと思い、自分には何が残っているかと考えた時に、唯一、子どもに空手を教えるのが楽しい時間だったんです。その時だけ、すべての嫌なことが忘れられることができました。それが立ち直りのきっかけになったんですね。何とかしなければと考えに考え抜いて、思いついたのが『これからは子どもを対象とした空手に力を入れていこうと』ということ。それが今もモットーとしている『子ども空手のカリスマ』という謳い文句。今の自分にできることはそれしかない、それでやっていこうと決意したんです。でも、正道会館からは破門されていた身。その時代の誹謗中傷もあって、一時はネット上で叩かれることもありました。そんな超マイナスのところからどうすればいいかと、いろいろ考えたんですね。考えながら努力した結果、一年で230名の子どもたちが集まってくれたんです。それはまさに奇跡に近かったと思います。以前もお話したように、デザインも学んでいたので自作のポスターを作り、チラシを作るなどしてポスティングをしてPRに努めていました。ちょうどその頃、知り合いの会社から、宮崎がかわいそうだからと、輪転機を貸してくれたんです。そこでチラシを作成し、森兄弟のお母さんと休み無しで夜の11時から3時近くまで印刷して、歩きながらポスティングを毎日していました。自分一人の力では到底、できないことでした。森兄弟のお母さんには今でも感謝の念が堪えません。お母さんの励ましには本当にずいぶん、助かりました。結果的にそれがヒットして、少しずつ子どもたちが入門するようになったんです。後は口コミで広がっていきました。空手の指導の対象のターゲットは子どもに変え、気恥ずかしながらも『子ども空手のカリスマ』というのを伝えていたら、テレビ局が取材・放映してくれたんです。それも宣伝になり、さらに入門者は増えていきました」

どん底状態から抜け出した宮崎に新たな転換期が訪れた

森母の応援を受けながら努力を続けた結果、じり貧の状態から抜け出すことができた宮崎。それによって道場経営も安定した。この話を聞いた時、「すごい人だな」と感心させられたものである。それまで懸命にやってきた空手を辞めようとまで思い、さらには友人の裏切りによって、生活すらやっていけない状態だったのである。自分がもしも、そんな目に遭遇したら、ピンチを切り抜けられるだろうかと思わされた。

成功していく宮崎に、近づいてくる空手家もいたそうだ。

「振り返れば、『武道とはなんだろう』ということをずっと、追求していた空手だったのですが、正道会館を辞めて自分には何が残っているんだろうと考えた時、“やったもん勝ちの精神”しか残っていないことに気付いたんです。でも、大勢の子どもたちを教えるようになって、これではダメだということを痛感させられました。ちょうどその頃の話ですが、『宮崎は人は集めるし、破門になっても潰れないし、こいつは面白い」と思われたのでしょうね。大きな空手団体の館長たちが近づいてくるようになったんです。でも、それは結局、人を集めるノウハウを持って行くような人ばかり。改めて、人間不信にさせられましてね…もう、空手をやっている人とは今後、関係を作らないと心に誓ったんです」

禅道会・小沢代表との出会い

しかし、ここでまた、運命の時が訪れる。昔、宮崎が世話になった別団体の空手の先生がフィリピンにいて、その先生から禅道会の小沢代表を紹介してくれたのである。「宮崎という面白い人間がいるので会ってみないか」と言われ…。小沢代表からは早速、メールが送られてきた。しかし、人間不信マックスだった宮崎はどうしても気持ちが乗らなかったのである。当然のことながら、返信もしなかった。

しかし、当時の宮崎はムエタイのジムとは交流が続いており、タイには何度か足を運んでいた。その時の話である。またしても小沢代表からメールが届いたのは。

「自分の中ではいい加減にしてくれという思いがありましてね。『今、タイにいるのでお会いすることはできません』と返信したんです。すると、『偶然ですね。私も今、タイにいるんです。お会いましょう』というメールが送られてきたんです。今となっては失礼な話ですが、その時はもう、あきれ半分で断るために会いに行きました。その時の小沢代表に言った言葉が『すごく失礼ですが、私、空手をやっている人が大嫌いなんです』と第一声で言っちゃいまして。今でこそ,笑い話ですが、それを聞いた小沢代表は気分を害するどころか、『この人、大変だな、救ってやろう』と思ってくれたんです。その時、この方は今まで自分が会ってきた空手家とは人物が違うなと思わされました。その頃、すでに禅道会さんは総合格闘技空手を展開していました。自分も一時期、柔術をやっていたこともあり、総合格闘技にも興味を持っていたんですね。その後、何回かやりとりがあるうちに、次第に小沢代表の人柄に惹きつけられるようになりました。そのお話は心理学の先生ということもあり、とても興味深いものがありました。それで、一度、禅道会の大会を見にきませんかと誘われたんです。二つ返事で出向いたところ、大会会場席の隣に小沢がついてくれて、いろいろ解説してくれました」

その試合を観た時の宮崎の印象はと言うと、倒れてからのパウンドで顔を殴られるのがすごく怖いイメージがあったと言う。宮崎の感想は打撃格闘技をやってきた自分にも良く分かる。組み技に対しては首相撲の土台があるから対応のしようもあるが、例えば蹴った時に瞬時にタックルされ、パウンドをとられるのが怖い。

それに対する小沢代表の答えはこうだった。

「道着を着ているから、つかめるのでクリーンヒットはあまりないんです」

そう言われて試合を観ていると、確かにそうだった。そこで興味がわいてきた宮崎は小沢代表に「禅道会の総合格闘技空手をやるのは大変ですか?」と訊ねたところ、「フルコンタクト空手よりも簡単だと」言われた。さらに、驚いたのが禅道会の幹部の雰囲気がフルコンタクト空手家にありがちな武張ったイメージとは真逆だったこと。全員が伸び伸びとしていて、自分の意見を小沢代表に言える。宮崎の空手人生の中ではそれはありえない光景だったのである。

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