空手道 大誠館 宮崎文洋館長の武道人生 6

小沢代表と会って以来、驚きの連続。

禅道会に関心を抱いた宮崎は小沢に「北海道でセミナーをやってくれないか」と依頼したところ、快く引き受けてくれた。これはその時のちょっとしたエピソード。

「小沢先生が来られる前、同行される齋藤先生が道場に電話をくたんです。その時、『寝袋を持っていけばいいですか?』と聞かれ、最初は言っていることの意味が分からなくて…。よくよく聞いたら、『道場に泊まらせてくれませんか』と言われるんですね。これには驚きました。自分としてはありえない話だったから。と言うのは、空手の偉い先生方はホテルですら、うるさく言う人が多かったんです。だから、齋藤先生の言葉に驚き、「それは無理です」と答え、小沢代表と齋藤先生二人にはホテルを予約して泊まっていただきました。ところが、来られてから話を聞くと、小沢代表は365日欠かさず、稽古をされる方なので、ホテルでは練習しづらいと言われましてね。だから、ホテルまで迎えに行って、道場で稽古をするというパターンになったんです。それ以来、『これからはもう、道場で泊めてください』と言われたのですが、小沢代表と会って以来、驚きの連続でした」

最初はセミナーをやっていただくということで、宮崎をはじめとする門下生たちはサポータを用意して、戦うための方法を教えてもらえると思っていたそうだ。というのは、通常の空手セミナーでは、受講者の関心を惹くようなことを最初に教えてくれる。

ところが、小沢代表の話はホワイトボードに書きながら、人の脳の構造とか、人はなぜ、倒れるのかとか、スピードとか面積とか、脳の揺れとかなどの内容からのスタートだったのである。受講した宮崎たちはスパーリングがあるんじゃないかと楽しみにしていたのだが、初めてのセミナーは説明会だけで終わってしまった。しかし、それが受講した者にとっては、いろいろな意味で衝撃で、「人はなぜ、脳が揺れて倒れるかというのか」が明確に理解できたそうだ。

それでも「申し訳ないけれど…」と、続けて宮崎は語った。

「今となっては恐縮の至りなのですが、小沢代表は空手家としての実力はどうなんだろうという話も初めはあったんです。というのは、フルコンタクト空手業界では、空手を実際にやっていない人が適当に自分で黒帯を巻いて、教えている道場も多いんですね。なので、一瞬、小沢代表のこともそういう人たちともだぶってしまったんです」

小沢代表の構えた姿を見て、鳥肌が立つような思いをした

現在もそうだが、その当時から小沢代表は必ず、朝、二時間ぐらいのトレーニングをしていた。呼吸法で一時間、後はシャドーとか筋トレをやっていた。その時、傍にいる宮崎に話しかけながら、自主トレをする。そして、初めて小沢が構えた状態を見た時のことである。宮崎ぐらいの空手の熟練者になると、だいたい、構えた姿だけでその人の強さが分かる。そこから、ワンツーからミドルキックを小沢がさりげなくやったのだが、それを見た時に宮崎の胸中に鳥肌が立つような衝撃があり、この人は本物だと思わされたのである。

「小沢代表は飛びぬかしでモノを教えることはしないんです。一つずつ、順序だてて、人の脳の揺れとか精神的なコントロールの仕方とかの説明から始まり、次に初めて寝技の初歩、その次に投げ技など、ひとつずつ順序立てて指導してくれるんです。そんな受講を続けるにつれ、『こうして人は倒れるんだ』ということが自分の頭に入ってきたので、後々、それが全部、役に立ってきました。例えば、総合格闘技のグローブは面積が小さいので、ボクシングみたいに当たってはじいて、脳を揺らすことはなかなかできません。だから、インパクトからフォロースルーをより長く相手に打ち抜くような打ち方をする。脳を揺らす時間を長くするような打ち方です。そういうパンチの技術などが次第に体得できるようになりました」

小沢代表との付き合いと共に禅道会にも魅力を感じてきた宮崎はもう一度、この人に空手人生を賭けてみようと思った。そんなある日のこと。小沢代表に宮崎は「禅道会の空手はどうしたらできるのか」と訊ねたと言う。そこで、また驚かされるような話が持ち上がった。

「あれだけ大きな団体なのに自分たちのような弱小団体のところに禅道会の一部門に稽古を大誠館に導入してもらえないかと持ちかけられたんです。今までお会いしてきた空手の先生は、『大誠館を捨てて、自分の道場の名前に変えろ』とか、そういう話が多かったのに、一部門に入れてくれないかという小沢代表の申し出が自分には驚きだったんです。そして、2014年には禅道会の北海道支部としてもスタートすることになりました」

正道会館から12年ぶりに破門が解除される

以降も小沢代表は宮崎に目をかけてれるようになり、ことあるごとに長野に呼ばれるようになるだけでなく、香港などの海外に行く時も誘ってくれるまでになった。

「香港に行っている時も必ず、どんなに寝不足でも朝の練習は必ずしていました。最終日は六時にホテルを出ないとダメだったので、三時に起きて、誰もいない真っ暗な公園で二人で練習をしたことが思い出に残っています。それと小沢代表は驚くぐらい、自然体の先生なので、自分も思ったことを相談できましたし、今までの空手の押忍!の世界ではなく、こんなトップの人もいるんだということを改めて感じさせられもしました。とにかく、他の人にも全然、気を遣わない方なので、失礼ながら『お金もあまりないんじゃないか』とまで思ったことがありましたね。でも、それが本当の武道家の姿なんじゃないかと感じるようになったのは事実でした」

小沢代表は問題を抱える少年・少女を預かるディヤーナ学園をも主宰しているのだが、それを知らなかった宮崎は最初にタイで会った時も、小沢代表と共に若い女性が同行しているのを見て「?」と思ったそうだ。実際は学園の子たちを一緒に連れてきて、海外での稽古に参加・体験させていたことを知って、感動したと言う。その後、宮崎は長野に出向いた際、ディヤーナ学園の見学もした。そこで、何百人という数の子たちを小沢代表が救っている姿を見て、「こんな先生がいるんだ」とそれにも衝撃を受けたそうだ。

12年ぶりに正道会館の破門が解除。そして…

ここで話は少し変わるがそうして、小沢と共に行動をしているうちに、2017年に正道会館に石井館長が復帰することができた。当時、正道会館は真っ二つに分かれてしまっていたのだが、小沢代表と行動していた宮崎の動向は正道会館でも知られており、「それが石井館長の目にもとまったんじゃないか」と、当時を回想する。その後、石井館長と久々に会う機会があり、12年ぶりに宮崎の破門が解除された。それによって、正道会館の全日本大会にも大誠館の選手を出場させることができるようになったのである。これはまだ、正道会館時代の話だが、当時の森兄弟の弟・洸稀は小学校一年生だったので、少年全日本大会があっても、その時は見るだけで出場できなかった。しかし、子どもであるにもかかわらず、洸稀はこんなことを宮崎に言ってくれた。それは大会に出場した選手に大きなトロフィーが渡されるのを見た時のこと。洸稀は「招来、絶対に自分が優勝して、宮崎先生に渡すんだ」と誓ってくれたのである。しかし、その頃の宮崎が主宰する大誠館はどの大会にも出場できなくなっていた。

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