空手道 大誠館 宮崎文洋館長の武道人生 7

正道会館の全日本大会で教え子の森洸稀選手が見事、優勝!

小学校時代から、「大会に出で優勝する、そして先生にあの大きなトロフィーを渡したい」と誓っていた、教え子の森洸稀。しかし、前回、書いたように正道会館を破門されていた宮崎はそれを叶えてやることはできなかった。

「それで、彼の夢を壊してしまったと、かわいそうでならなかったんです。だから、出場できる大会を探しては他流派の大会に出場して、徐々に実力をつけさせていました。そして、自分の破門が解除され、12年ぶりに正道会館に出場できることになった時、二十歳になっていた彼が「絶対に優勝して、いちばん大きなトロフィーを渡します」と言ってくれたんです。練習も過去にないぐらい、倒れるまでの猛練習をずっと続けていました。実際に試合が始まったところ、一回戦から試合に賭ける意気込みが強くて、順調に勝ち上がっていき、準決勝では優勝候補の選手と当たり、そこでも勝利することができました。最後の決勝戦は魂のかたまりのような意識だったので、165㎝という小柄な彼が二回りぐらい大きな選手と向い合っても、引けをとらずに見えたんです。結果、見事に優勝することができた時は心から感動がこみ上げてきて、自分も森母もみんなで喜びの涙を流しました。12年ぶりの夢を森洸稀が果たしてくれ、大きなトロフィーを渡してくれた時、「時間がかかりましたが、先生との約束通りのトロフィーです」と言ってくれ、感動ひとしおになりました。辛いことも苦しいこともあったけれど、空手を辞めずに良かったと、心から思ったものです」

壇中へのパンチが対戦相手のスタミナを奪うことを知る

「出場した大会はフルコンタクトルールで洸稀の得意なパンチで、顔を殴れなかったのです。その頃は以前の中段への打撃の防御も研究し尽くされていたので、倒すことが難しくなっていまして…。でも、壇中に点で打撃が一定のリズムで入ると、延長戦になった場合、相手の顔色が悪くなるぐらい、スタミナを奪えるというのが見ていて分かりました。ちょうどその試合前の1、2年前に小沢代表が洸稀の動きをビデオで観てくれ、『他の選手と動きが違いますね』と言ってくれたんです。壇中を一定のリズムで打つと相手のスタミナを奪えるようだという話をしたところ、小沢代表は『たぶん、相手の呼吸がとまるか、もしくは乱れる。それによって、スタミナを奪えるんじゃないか』と言われまして。そこで、その話を大誠館の黒帯の指導員で北海道大学の先生にもその話をしたところ、『実験室でデータを取りましょう』ということになったんです。大学の研究室の中で実際にセンサーを付けて、被験者の壇中に試合と同じようにパンチを打たせる実験をしたのですが、洸稀が試合時のように壇中を打ったところ、相手の心臓が一瞬止まるんです。普通に打っているだけでは止まらないのですが、ある一定のリズムで打ち続けると、止まることが判明しまして…」

この実験の結果、壇中にある一定のパンチを打ち続ければ、血液が酸素をうまく運べなくなり、スタミナを奪えるということが科学的にも証明された。それまでは、感覚的にやっていたことが実証データとなったのである。宮崎は、それも小沢代表が説明してくれなければ、そこまでの技術的な解明に至らなかったと言う。

「これならいい!この練習をメインとしてやっていけば、顔面無しのフルコンタクトルールで勝てると確信したんです。結果的に正道会館の全日本大会でも壇中を狙ったパンチがメインで勝ち上がることができました」

宮崎の胸中にも新しい空手の戦い方を築くことができたのである。

禅道会の総合格闘技空手を学ぶため、白帯からスタートする

ここで話は宮崎が破門された当時にもう一度、遡る。

「付き合いのあったタイの人たちとの交流は続いていて、自分が破門になろうが彼らとの関わりは一切、変わらなかったんです。その頃は空手に嫌気がさしていたこともあり、グローブメインの空手でもいいかなと思っていたんです」

そこで宮崎は大誠館として2005年に独立した当初から、フルコンタクトルールと顔面ありのルールの練習を行っていた。顔面ありは「子どもムエタイ」という内容でヘッドギアと大きめのグローブを着けて安全性を重視して組手をやっていたそうだ。子どもの適応能力は目覚ましいものがあるようで、大人だとフルコンタクトルールと顔面ありのルールで組手をやると、距離感がおかくしなる。どちらか一方だけをやると、両方が中途半端になってしまう。ところが、子どもの場合はどちらのスタイルにでもすぐに対応できていたそうだ。ちなみにこのルール体系の練習は低学年からやっていた。そうするうちに、宮崎はフルコンタクト空手とムエタイの稽古の間の流れを体得していくのが総合格闘技ルールになるのではないかと思うようになったのである。正道会館時代に柔術もやっていたので、打撃戦の中途半端な距離になった時につかむのも有効だと思った。しかし、当時は宮崎自身が組み技・投げ技まで自身の中で納得できるレベルではなかったので、その時点では稽古に導入していなかった。

「小沢代表とお会いしてから、総合ルールの戦いを観て『これだ!』と閃くものがあったんです。でも、自分の性格上、自分が修得して納得しないと、人に教えることができないんですね。小沢代表と出会った時は45歳を過ぎていたので、『この年齢からでもできますか?』と訊ねたところ、『禅道会の空手は歳をとってからでも強くなることができる』という返事をもらい、禅道会の総合格闘技空手を学ぶため、白帯からスタートすることにしました。その時、小沢代表も『今まで師範として空手をされている方が白帯から学ぼうとするなんて、いなかったですよ』と言ってくれましてね。でも、自分としては飾りの黒帯はいらなかったから、白帯から気持ち新たに禅道会の稽古に取り組むことにしたんです。フルコンタクト空手は40歳を過ぎると、身体の各所が痛んでくるので続けられなくなる傾向があるのですが、総合格闘技の禅道会の空手は顔面パンチもあるし、投げ、絞め技、寝技もあるので、技のバリエーションが多いんです。その分、年齢がいっても様々な技術を学べることが分かったのは自分にとって、大きな収穫でした。特に寝技は歳をとってからでも、どんどん強くなってくるのが分かるで、自分の第二の空手人生が始まったという感じで、嬉しかったですね」

稽古に夢中になるあまり、負傷してしまったことも…

フルコンタクト空手をやり込んできた人なら、共通するものがあると思うが、宮崎も身体を追い込むような稽古が好きで、練習が楽しくて、楽しくてならなかったと言う。しかし、それまではずっと指導だけにまわり、稽古から遠ざかっていたこともあり、最初の頃は両方の足首が炎症を起こしてしまい、歩くこともままならないこともあったそうだ。しかし、次第に稽古を続けていくうちに、身体も慣れ、総合の練習にも慣れてきた。相手に倒されてから、下になるというのがフルコンタクトだけをやっていた宮崎にとっては怖かったが、パウンドをとられてからひっくり返す方法なども教えてもらい、「初めてひっくり返した時の快感はいまだに覚えています」と言う。

体格差があっても、ある程度の体重までなら、対応もできる。楽しくやっていた稽古だが、ここでもまた、試練があった。総合の練習を始めて一年目で腰を痛めてしまい、ヘルニアになってしまったのである。それでも指導をやりたくてしょうがなかった宮崎はキャスター付きの椅子に座りながら、指導にあたっていた。

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