隻腕の空手家・島山浩司の空手道人生

小学生の頃から野球一筋。特待生で高校野球の名門校に進学

 突然の切り出しだが、あなたが武道なり、格闘技をやっていて、何らかの事故で片腕を無くしてしまったら、どう思われるだろうか。肉体的にもハンディキャップはある、日常生活にも大きな支障になるだろう。それまで好きでやっていた、練習もできなくなるかもしれない。パンチも打てない、蹴る時のバランスも崩れる…。自分なら、そんな目に遭遇したら、絶望感でいっぱいになるだろう。何事に関してもネガティブになり、格闘技・武道どころではなくなると思う。

 しかし、である。ここにそういう状況に遭いながらも、空手を続けてきた一人の男がいる。その人の名は名古屋市内に自らの空手道場(島山道場)を有する島山浩司氏(以下、敬称略)である。

「空手を始めたきっかけはなんでしょうか?」と訊ねたところ、島山は小学校から野球一筋の少年であったらしい。それがなぜ、空手を始めたかは後述することにして、中学校を卒業した彼は高校野球の名門・享栄高校に特待生で入学した。その後、高校を卒業、就職してからも野球を続け、国体の社会人野球にも出場する。そこには後のプロ野球界のスーパースター、桑田、清原も出場していたそうだ。

 そこまで、野球にどっぷり浸かっていた島山だが、試合が終わったあたりから野球部の監督との折り合いが悪くなり、「もう、野球はいいかな…」と思ったそうだ。十数年、野球をやってきた島山である。そんな彼の胸中にはずっと前から、「個人競技をやってみたい」とも思っていた。それが空手だったのである。以下、島山の話。

「最初は空手かボクシングか迷っていたんです。でも、ちょうどその頃、テレビをつけ時に、極真の大会が放映されており、黒澤浩樹選手が出場していたんです。強烈なパンチとローキックでKОの山を重ねる姿を見て、『これはすごい!自分も空手を目指そう』と思ったんです」

フルコンタクト空手道場の入門当日の体験談

 個人競技で空手を選ぶかボクシングを選ぶかで迷っていた島山だが、やはり、パンチだけでなく、蹴りもある武道に惹かれたのである。さらに、島山は野球でウエイトトレーニングもやっていたし、走ることもしていた。体力に関しては人並み以上の自信があったから、稽古が厳しいと言われる極真空手への入門も躊躇することが無かったと語る。そして、驚いたのは、その後の話である。島山の言葉で当時のことを語ってもらおう。

「自分はその当時、21歳でスピード、パワー、スタミナ共に自信がありましてね。ウエイトでは、ベンチプレスで160㎏、スクワットで280㎏まで挙げられるようになっていました。そして、入門した道場には、大学生で黒帯の有段者がいて、『組手をお願いします』と頼んだのです。すると、なんと、自分の方が強かった。見様見真似でパンチとローキックで攻撃したら、相手を圧倒することができて、『これはいけるぞ!』とさらに自信を深めることができました。その一方で、『まだまだ強い人はいくらでもいるんだろうな』と思うと同時に、『試合に出場したい』という気持ちも芽生えたのです」

 以前にも、このトピックス記事に書いたことがあるが、格闘技・武道ではなく、他のスポーツなどを長年やってきて、フィジカルに優れ、身体能力もある者は時に格闘家・武道家の技術を凌ぐことはあると思う。島山はまさに、そういう人間であったのだ。ウエイトトレーニングで鍛えぬいていた若き日の島山の写真も見せてもらったが、ものの見事なまでのマッチョぶりであった。それも単なる見せかけの筋肉ではない。投げる、受ける、バットで打つ、走るといった、トータルな動きをベースにしたうえでのパワーであり、スピードであり、反射神経である。生半可な格闘技・武道をやっていた者では、そんな彼に組手で力負けしても当たり前である。

 話を戻そう。極真の試合に出場したいと思った島山はその資格となる、初段取得を目指して猛練習に励んだ。その当時の様子を彼はこのように語る。

「初段を取れば、先生から試合へのエントリーが認められる。だから、二年間、休まずに稽古に臨みました。突き・蹴り・受けの基本稽古、移動稽古、その展開技の稽古、そして組手。稽古は厳しかったですが、野球で鍛えぬいてきた下地(基礎体力)があったのと、もともと、やる!となったら、徹底的にやらなければ気が済まないタイプだったので、稽古がきついとか、苦しいとか思うことなど、一度もありませんでした。道場の稽古だけでなく、自主トレもやっていましたよ。朝は5時起きで一時間ぐらい、職場に行っても昼休憩の30分はシャドーをやっていました(ちなみに、今でも島山は休憩中に腹筋・背筋のトレーニングをやっているそうだ)。結果、集中して努力した甲斐もあり、二年間で初段を取ることができました」

数々の試合に出場して、好成績を挙げる島山を悲劇が襲う

 一番、最初の試合は中部交流試合だった。ここでの一回戦は徹底的に攻めまくって、圧勝。続く二回戦の相手は長野県の試合でチャンピオンになった選手であり、体格も島山よりも優れていた。しかし、自ら猛練習を課してきた彼はそんなことで臆さない。ここでも自分のペースで攻めまくるだけである。そして本戦終了。心の中で「勝った!」と思ったのだが、主審の旗は上がらなかった。初めからペース配分無しで攻めていくのが島山のファイティングスタイルである。続く延長戦では、さすがの島山もスタミナが切れてきた。そして、試合後半、相手選手の攻撃を若干、受けてしまったことがポイントとなり、判定負けになったのである。彼は負けた悔しさより、こう思ったそうだ。「もっと、スタミナをつけないといけない」と。このあたりが島山の人並み以上の精神力である。彼はその試合以降、さらなる猛練習を自分に課した。そして、次に行われる重量級のオープントーナメントにエントリー。これから…という時の島山に悲劇が襲う。

「仕事場のミキサーに20㎏近くの袋を投入しようとした時のことでした。危険な作業なので、普段は十分に注意していたのですが、練習の疲れもあったのでしょうね。投入した袋が自分の右腕にからまって、ミキサーに引き込まれてしまったのです。即座に、機械を止めたものの、右腕はちぎれてしまいました。切れた個所を見たら、えぐい話ですが、グチャグチャになっていて、『もう、これで俺の人生、終わったな』と思いました」

 それだけの目に遭いながらも、気を失わなかったのは、空手で鍛えぬいてきた精神力があったからだろう。当たりは血だらけ、凄惨な有様である。駆けつけた社員の中には、島山の状態を見て、失神する人までいたそうだ。しかし、島山はそんな状況下でもこう思ったそうだ。「これでは、もう空手もできない」と。その後、救急車が到着。救急隊員が担架で運ぼうとするのを振り切って、歩いて救急車に乗り込んだそうだ。このあたり、常人では計り知れない強靭な精神力である。総合病院に搬送された島山は、そこで八時間にも及ぶ手術を受けた。右手はもう、戻らない。しかし、肘から先の前腕部分の肉と皮膚をつけるという想像もつかないような手術が行われた。がしかし、つけた腕は次第に腐敗していく。手術成果が望めないと判断されたのであろう。島山はそことは別の病院に移され、再度、手術を行うことになった。

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