空手道禅道会を視る①

総合格闘技 空手道 禅道会

はじめに、自分は禅道会を学んでいる者ではないことを伝えておきたい。このトピックス記事は自分が知る限りの格闘技・武道について書いているのである。今回はその第三者の目線で視る「空手道禅道会」についてシリーズで書いてみたい。

禅道会は打撃技、投げ技、関節技の「打・投・極」の修得を目指す総合武道の空手である。打撃の技修得に重点が置かれていた空手に、なぜ、そのような稽古体系ができたかについては後に記載する。その前提として、このような総合技の格闘技、武道が誕生する経緯を自分が知る限りで書いていく。

ultimate fighting championshipImage by Ultimate Fighting Championship / public domain

1993年11月にアメリカのコロラド州デンバーで開催された第一回の「アルティメット大会」。ルールは目と急所への攻撃だけを反則とし、選手はこれまでのリングやコートとは違う、オクタゴンという八角形のリングで試合をする。ここに打撃をはじめ、組技などの格闘技・武道のプロフェッショナルたちが参戦した。観客、ビデオで放映されたその内容を観る者の関心は「どの格闘技、武道が強いか?」の一つに集約されていたことであろう。

しかし、その試合内容は凄惨を極めた。昏倒して意識を無くす者多数。締めあげられて失神する者も多数。さらに、ルールがあるにもかかわらず、目への攻撃で失明する選手まで現れた。このシーンを観た人はあらゆる意味で戦慄を覚えたことであろう。それは格闘技ファンより、実際に何らかの格闘技・武道をやっている人たちの方が衝撃が大きかったと思う。例えば、オランダのジェラルド・ゴルドーとアメリカのケビン・ローズイヤーの試合。打撃ファイターのゴルドーは自分より体格のいいケビンに対して、情け容赦の無い戦いを仕掛けた。ケビンが転倒する。立ち上がろうとするその瞬間にパンチや蹴りを入れる。その衝撃でまた、ケビンが倒れる。ゴルドーはあたかも冷静な格闘マシーンのように、必死に立ち上がりかけるケビンに打撃技を叩き込んだ。この残虐なまでのシーンは世界中に放映された。メディアはその感想を様々な国内の格闘家、武道家にインタビューしたものだ。

彼らの感想は一様に「あれは武道でも格闘技でもない、観ていて気分が悪くなるような内容だった」と顔をしかめて言っていたことを覚えている。

それまでの格闘技や武道のルールや試合とはまさに内容を異にするものであったのは確かだ。特に技量のみならず、精神性をも重視する日本の武道家の間では酷評が持ち上がった。自分も同じ日本人として、彼らの意見に共感したものである。

選手の名前は忘れたが、キックボクサーと柔道家が戦い、投げられた後に後頭部への肘打ちを何度も叩きこまれ、失神するシーンもあった。あるいは、タンク・アボットという格闘家でもない、ストリートファイターがテクニカルでも何でもない、剛腕でラフなパンチを振るって対戦相手を昏倒させるシーンもあった。

このアルティメット大会、観る者は「どの格闘技・武道が最強か?」を思っていたことであろう。だが、その試合内容はその想像を凌駕するような凄惨なものであったのである。

しかし、その一方で世界の格闘技界は歴史的な新しい時代を迎えもしたのだ。何でもありの戦いとなると、特に打撃家たちは一度でも組まれ、倒されようものなら、成す術がないことを痛感させられた。試合を観た者も同様の感想を抱いたことだろう。その格闘技界の歴史を塗り替えたのが、グレイシー柔術であったことは言うまでもない。それまで誰もがその武道の名前を知らなかった者たちに、その強さと知名度を一躍上げたのがアルティメット大会で優勝したホイス・グレイシーであった。ブラジリアン柔術の創始者、エリオ・グレイシーの六男である彼は、どのようなタイプの相手と戦っても、あくまでも自分のペースを崩さなかった。身長は180cmぐらいだから、大柄な外国人ファイターたちが集う中では決して、体格に恵まれているとは言えない。それでも彼は試合中、あくまでも自分の間合いを安定して取り、ジワジワと自分のペースに持ち込んでいった。そして最終的に相手を絞め落とすという戦法に終始していたのである。他の選手が勝っても負けても、手酷いダメージを負っていたにもかかわらず、ホイスだけはその端正な顔に負傷を負うことなく、勝利を果たした。

ホイス・グレイシーホイス・グレイシー
Photo by Peter Gordon / CC BY 2.0

特に印象に残っているのは、そのホイスに挑んだ日本のトップ空手ファイターとの試合ではなかろうか。当時の実戦を標榜する空手団体はそれまでの「一撃必殺」が迷信(そうは簡単にいかない)ことを知り、いかに実戦に近いものにアプローチするかを模倣していたのである。中でもその空手家の所属する団体はフルコンタクト空手のルールからさらに実戦に近づけようと、顔面への攻撃あり、投げありの稽古・練習に特化して研鑽していた。その空手家の名前はIという。実際、彼はタフなファイターであった。その男が日本の空手家を代表するかのごとく、ブラジリアン充実のホイス・グレイシーに挑戦を臨んだのである。当然のごとく、国内の格闘技メディアはここに注目して大いに取り上げた。「あの男なら、ホイスに勝てるのではないか?」。彼の所属する団体の空手家以外の空手家たちもそこに大きな期待を寄せていたことであろう。いや、「勝てるのでは…」というより、「勝ってほしい」の一念が寄せられていたと思う。それだけ、Iという空手家の実力は優れており、関係各界からも高く評価されていたのだ。

がしかし、Iの奮戦虚しく、ホイスの絞め技の前に完敗させられた。ただ、その試合に限っては「格闘技の試合」として観ることができた。戦う二人が自ら培ってきた戦闘能力をもって、互いの実力を発揮したのだ。それは他の試合とは一味違う、格調の高さもあるように感じられた。それでもしかし、一人の空手家がブラジリアン充実の前に完敗した事実は多くの打撃系格闘技・武道をやる者に大きな衝撃を与えたと思う。「あのような試合で蹴りを出したら、それをキャッチされて倒されるのではないか」と。「実戦」を追求していた日本の打撃系格闘技、武道も組技、投げ技を稽古の中に導入するようになったのも、それ以降ではなかろうか。こちらの打撃をキャッチされずに戦う技術、テイクダウンを狙ってタックルを仕掛けてくるのをディフェンスする技術、そして打撃技だけでなく、組技、投げ技をも研鑽する団体が次第に増えていった。そこには、どんな場面でも、どんな相手に対してでも対応できる格闘能力を身につけようというテーマが生まれたのである。

前振りが長くなったが、空手道禅道会もその一つだった。前述したように、打撃技、投げ技、関節技の「打・投・極」を目指す稽古体系が設立当初から行われるようになった。格闘技も武道も目指すところは「いかに、実際の場面で日頃の技を使えるか」である。つまりは、襲撃者に対する護身の技術だ。それなくして、実戦とは言えないのである。稽古ではできても、いざという時に修練してきたものが使えなかったら、稽古の意味はどこにあるのだろう。断っておくが、道場稽古に特化した武道や武術を否定しているのではない。型稽古を重視し、精神性を培うのはそれでまた、それなりの良さがあると思う。いくつかのパターンの技を何度も繰り返し、約束稽古で学んでいく。その代表格が合気道、合気系柔術ではなかろうか。

話がずいぶん、それた。次回は客観的に観る空手道禅道会について書いていこうと思っている。

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